サイトウさんの自画自賛ブログ。夫の分も幸福に生きる。

36歳で当時56歳の夫を交通事故で亡くす。悲しみを克服するまでの奮闘記。そして自分が選んだモノ思いついたことなんでも自画自賛して前向きに過ごす。

【夫との死別から5週間】これからのことに目を向けるときが訪れた

夫が夢に出てきた。1回目はよくある日常の回想シーンみたいな。今回は夫と会話ができた。車に乗ってたけど、私の左側にいる彼と話したからお互いに運転はしていなかった。

次の仕事はどこかという会話の流れで「3/19の新潟は?」と私が訪ねる。「なんでお前が知ってるの?」と不思議がる。私は涙を流しながら、未来に起こる事故のことを告げる。「オデは3/19に事故で死んじゃう。木村さんの居眠りで、朝6時頃。避けられるなら避けて」私が泣いて真剣に話すから、冗談を言ってるわけじゃないと察した様子で夫は頷いた。「ったくアイツは、、」と言ったところで目が覚める。

事故が起こる前の時点だったのだろうけど、私も夫も、もう避けられないことなんだと、どこか理解はしていたような感覚だった。それでも、お互いにそれを覚悟することができた。過去に戻って、お別れを言うことができた。そんな気持ちで夢から覚めた。

出てきてくれてありがとう。また必ず来てね。

 

あれから5週間。深い悲しみからは抜けられた。時間が解決した。けど何もしないまま家にとどまっていたら、同じ時間が経過した今もきっと喪失に打ちのめされていたことだろうと思う。

家族や友人が寄り添ってくれること、自分から外に出で行ったこと、第二の人生を築いていくために前進しようと決意したこと。それがなければ、今この時間も家で泣き続けていたと思う。私の心に余裕ができたから、夫は夢に出て来れたのかもしれない。

 

さて、考えなきゃいけないことがいくつかある。まずは夫のお墓のことだ。お墓は遠い将来必ずお参りする人がいなくなる。それなら最初から無い方がいいという考えに変わりはない。でも2人の娘さんはどうしたいのかな?

仮に私が通える範囲内に埋葬したとして、もし再婚したら?私はそのお墓に入らない?すると夫はそのお墓に1人?それを考えたら、夫は遠く離れたお父さんやお兄さんのいる山形のお墓に入る方が良いのか。

娘さんたちの意見を聞かないことには話は進まない。けど言えるのは、私と娘さんたちにとってのベストが、夫にとってのベストだということ。管理とか、お参りするしないの責任感だとか、そういったことで私たちに負担がかからない形。それがベストなんだ。

 

次に自分の将来について。

まず、ずっとやってみたかった、こじんまりしたバーでの接客。お洒落なグラスでクラフトビールを提供して、常連さんとの会話を楽しむ。理想はそうでも、きっと何かしらの苦労はあるだろうし、夫には十分すぎる稼ぎがあったから無理してダブルワークする必要もないと思っていた。けど今、それにチャレンジしてみる時が来たと思う。夫もお酒の場が好きだった。同じような人が集まってくる場所に、自分の居場所を作りたい。そんな私の意思を理解してくれた店に巡り合うことができた。飽き性のわたしに長続きできるかはわからないけど、やってみよう。

 

そして、再婚について。

私はわりと恋多き方だと思うから、恐らく今後そういう人が現れるだろうし、既に知り合っている人を好きになる可能性だってあると思う。その時が来たら、流れに身を任せれば良い。

そんな風に思ってる最中、同級生が2人目を妊娠中でマイホームを買ったという知らせを聞いた。今までも似たような知らせは何度となくあったけど、マイナスの感情を抱いたことはなかった。「そうなんだ!おめでたいね!順調だね!楽しみだね!」と素直に感じていた。

けど今回は、自分が置かれた立場と比べてしまった。子供に恵まれなかった上に、夫まで亡くしてしまった。よく考えたらものすごい不幸なのかもしれないとさえ思ってしまった。人と比較して自分は不幸だと思うことがいかに無意味かを、私は十分理解しているはずなのに。

けどよく考えよう。

そもそも20も歳上だった彼を好きになったことが始まりで。逆を言えば当時の私は同世代の男性には魅力を感じなかったわけで。となると、不妊のリスクはもちろん、周りより早い死別もむしろ想定の範囲内だったと言える。

さらに言えば、その「幸せの代表例」みたいな暮らしを、私は本当に心から望んでる?子育てに奮闘したい?マイホームを持ちたい?ママ友と交流したい?嫌なわけではない、子供に恵まれたらどんなに愛おしくてかわいいことだろうと思う。けど、気の合う夫婦同士でスタイリッシュに暮らす、共通の友達と飲む、それでもある程度お金に余裕がある、趣味への投資を惜しまない。むしろそんな暮らしの方が理想では?夫とはそういう暮らしができていた。まったく同じようにとはいかないだろうけど、今後もそういうのが自分に合ってると漠然と思う。少なくとも「幸せの代表例」に嫉妬する必要はないんだ。

私は、私のペースで、私が望む暮らしをしていけばいい。そうやって自分らしく過ごしていれば、自然と愛してくれる人、愛せる人と出会えるだろうという確信がある。だって私はこんなにも魅力的な女性なんだから。

 

退勤時間が近づいてくると、ふっと「このあと家に帰っても、もう夫はいないんだ」と現実をつきつけられるときもある。

心の奥底に、浅く残った下水みたいな。除去しなきゃいけないのに、浅すぎて汲み上げることもできない、けど蒸発させるにはものすごく長い月日が必要。コレを抱えながらも、前身しなければならない。いや、前を向いて進んでいれば勝手に無くなっていく。乗り越えた先には、今よりさらに魅力的になった私が出来上がっていることだろう。