サイトウさんの自画自賛ブログ。夫の分も幸福に生きる。

36歳で当時56歳の夫を交通事故で亡くす。悲しみを克服するまでの奮闘記。そして自分が選んだモノ思いついたことなんでも自画自賛して前向きに過ごす。

改めて考えると

平常心で過ごせる日がどんどん増えてきてるけど、やっぱり突然悲しみに襲われるときがある

 

オデがこの世にいないって、え、本当にこれ現実?だとしたら、いまものすごい苦しみに押しつぶされてるってことだけど、それわかってるのか?自分

 

いや、突然ではない。今日は仕事帰りに一人でクラフトビール飲んだ。つまみ無し。単純に、少し酔ったんだろう。感情が放出されやすい状態になったんだ。

 

他の何かに夢中になっているときは至って普通でいられるんだ、偽りなしに。仕事でもゲームでも、友達と会う約束でも、なんでも良い。ぜんぶ自分次第なんだ。けど周囲から「不幸な女性」と見られるのはわりと嫌だから、そこはうまくコントロールしていく。

まぁただ、一人でいるとき抑える必要はない。それこそ、ありのままでいい。悲しみにひたるのも、今は時じゃないと抑制するのも、自分の好きにする。

 

大丈夫。オデは最後の1秒まで私を愛して、私に愛された。介護やお金の苦労もなく、やることが何もない退屈な老後を経験せずに終えた。そういう人生だって五万とある。その場合は当然、寿命や老衰ではなく事故や重い病気が原因で、遺族の悲しみはより深いものになる。

だから仕方ない。最後の1秒まで元気で愛されるならば遺族の傷は深い、寿命ならばある程度の覚悟のうえで別れを迎える。

どっちかしかない。オデは前者だったに過ぎない。残された私がやるべきことは、自分を幸せにすることだ。

 

そうわかっていても、悲しいときは悲しい。今日は、存分に悲しむことにしよう。人生最大のストレスこと配偶者との死別。そんなのがいま自分にふりかかっている。乗り越えられる日が必ず来るから、その日までは感情のままに過ごそう。

今日はモロい日だったかも

配偶者との死別がきっついのは「夫を亡くした」のは自分1人だから。

「父を亡くした」なら兄弟と

「仲間を亡くした」なら友達と

悲しみを共有できる。

配偶者には、それがいない。

けど配偶者を失ったこの世の人達みんなが、1人でこの悲しみと向き合って、少しづつ前を向いてるんだろう。

絶対に心穏やかになる日がくる。

全国の、ご主人を亡くした女性の皆さん、

私と共にふんばりましょう。