サイトウさんの自画自賛ブログ。夫の分も幸福に生きる。

36歳で当時56歳の夫を交通事故で亡くす。悲しみを克服するまでの奮闘記。そして自分が選んだモノ思いついたことなんでも自画自賛して前向きに過ごす。

【夫との死別から7週間】四十九日を終えて

四十九日の数日前、今まで不思議なほどに良好だった体調が崩れる。大したことはない、風邪の症状で熱はない。けど倦怠感と、こういうときに寄り添ってくれた夫の不在が症状を悪化させたのかもしれない。

始めたばかりのバイトを休むわけにはいかない。事情をよくわかってくれている無印を1日欠勤させてもらった。錦糸町に勤めて4年目、事故直後の欠勤を除けば、多分初めての欠勤だ。

もう夫はいない。家に帰ればお骨と私ひとり。明日もただ働くだけ。何のために、誰のために、何をするために生きてるんだろう。虚しさが無限に広がる。仕事からひととき離れれば涙が出る。具合が良くなる気がしないまま、四十九日当日を迎える。

情緒不安定な日々からは脱していたけど、式の最中にまた涙が流れる。これで49日間毎日涙を流したことになる。けどこの日、これほどに辛い悲しみを分かち合える仲間の存在に気づくことができた。夫の娘さん達だ。夫は、離婚したあとも娘さん達と食事に行ったり連絡をとりあったりと仲良くしていた。また娘さん達から夫が好かれているのは見て明らかだった。

式の後に相続のことなどを話し合う過程で思い出話になり、話し足りないなか打ち切りになってしまった。その夜に、思い切ってお酒の席に誘ってみたところ快く応じてくれた。

小さいときから今に至るまでどんな風に過ごしたか、その節々でお父さんはどんな声をかけたか。離婚して20も下の女性と再婚すると聞いたときどう思ったか。お母さんの苦労をそばで見て来た二人の気持ちは。そのお母さんが事故のことを聞いてどんな風に思ったか。

話の時々で私たちは何度か涙を流した。きっとあの子達も私と同じように、心の奥底でピアノの音が聞こえてたと思う。映画やアニメで、悲しいシーンとか事件が発生するシーンで良く聞くような、一番低い音が「どーーん、どーーん」ゆっくりと繰り返すあの音。絶望を表すようなあの怖い音。

夫を失って、深い悲しみを感じているのは私だけと思ってたけど。質や形が違えど、同じように心を痛めている人が少なくとも2人いる。他人から見れば異常かもしれない故人への執着も、この2人なら当然のごとく共有できる。彼女達とのつながりを持ったことは、私にとって不可欠な精神安定剤になった。

 

(下書き保存から日数経過してしまったので、文の途中だがここで投稿する)