サイトウさんの自画自賛ブログ。夫の分も幸福に生きる。

36歳で当時56歳の夫を交通事故で亡くす。悲しみを克服するまでの奮闘記。そして自分が選んだモノ思いついたことなんでも自画自賛して前向きに過ごす。

【夫との死別から2週間】仕事に復帰、涙が噴き出るトリガーは職場にも潜んでいた

事故から2週間、仕事に復帰した。

家でふさぎ込んでいるより、忙しく働いてる方が良い」そう確信してたけど、トリガーは我が家だけじゃなく、職場にもたくさん潜んでいた。

 

2週間ぶりに出向いた職場には、私の心身をものすごく心配してくれる仲間がいて、声をかけてくれたり、あえて普段とおりにしてくれたり、顔を見るなり号泣してくれる人もいた。

すべての厚意が嬉しいのと同時に、トリガーとなる。

 

新商品がいくつも並んでいた。花瓶のラインナップが増えて、すごくかわいかった。以前なら、もし飾るなら家のどこにしようか、代わりにアレをあっちに移動させようか、アレコレ考えてワクワクした事だろう。インテリアに無関心な夫はだいたい「また何か買ったの」「まぁいんじゃない」なんて言って、私のこだわりを受け流してくれた。

そこで初めて気づいた。ラグを変えたり、植物を増やしたり、部屋をオシャレにするのは、夫がいたから、夫の反応があったからやっていたんだ。もう夫に見て貰えないなら、何を買ったって意味ないな、そんな風に思えて来てトリガーとなる。

 

職場ではあいかわらず、誰かと誰かが揉めただの、だから担当を分けようだの、生産性のない話題が後を絶たない。以前から面倒だなと思いながら、対処に努めていた。

例えばこんな、職場で起こった些細な出来事や、なんのオチもない、答えを求めるわけでもない、ただ聞いて欲しいだけのぼやき。そんなのを、無条件にしゃべってもいい相手。聞いてくれてありがとう、ちょっとどうでもいい話ししていい?そんな断りを入れることなく喋りだしてもいい相手。

そして夫にとっても、私がそういう存在だった。そういう唯一の人を失ったわけだから、今抱えている悲しみのやりどころがないわけだ。

 

周りはみんな気遣ってくれる、いつでも連絡してと言ってくれる。呼ばれたら行くからとも言ってくれる。

けどみんな、私の側ではない場所に自分の帰る場所があるわけで。私がここにつなぎ止めているに過ぎない、いつ解放できるか目処をたてなきゃいけない、そんな風に思う。

結局は夫以外の人に甘えることはできない。すべてを、1人で解消していかないといけない。

職場で起こる何気ない出来事さえも、トリガーとなる。

 

警察から貰ったパンフレットに書いてあった。「大切な家族を失った悲しみから抜け出せずうつ状態になる人もいる。1ヶ月以上続くようなら専門機関に相談を」

そうか、1ヶ月くらいは、こんな感じなんだ。であれば、時間が解決してくれるのかもしれない。

 

父に言われた。

職場復帰しても最初の2〜3ヶ月くらいは短時間、少ない回数でもいい。慣れてきたら徐々に増やせばいい。その程度ならお金の心配もない。

それがいいのかもしれない、と思った。

 

本で読んだ。

家族の喪失は、自分の体の一部を失ったのと同じことだと考えれば、回復するのに休養や時間が必要だということがわかる」と。 

そうか、今の私がまさにそれを必要としているのかもしれない。