サイトウさんの自画自賛ブログ。夫の分も幸福に生きる。

36歳で当時56歳の夫を交通事故で亡くす。悲しみを克服するまでの奮闘記。そして自分が選んだモノ思いついたことなんでも自画自賛して前向きに過ごす。

【夫との死別から10日目】どういう最後を迎えるかを考える。

身内が死ぬと、いやそんなときしか考えない

祖父や祖母が死んだときすら、どこか他人事でそこまで考えなかった

どういう最後を迎えるか。

 

同じく夫婦二人家族で、旦那さんと死別したライターさんの記事に

「配偶者との死別が人生最大のストレスと言われている」と書かれていた。

そうか、この最大のストレスがいま自分にふりかかっているのか。

だからこそ「死」について考えることに繋がったんだ。

 

夫は交通事故の被害者として亡くなった。

相手の車はいない、単独事故

職場の仲間4人で現場に向かう道中、

普段あまり運転しないらしいKさんに交代して間もなくのことだった。

 

親しくしていた社員から聞いたところ、

なんの障害もない真っ直ぐの道で、その日雪も残っていなかった。

考えられるのは運転手の不注意

つまり、居眠りだろうと。

普段あまり運転しないから、交代してまだそんなに経過していないのに

代わって欲しいと言い出しにくかったんじゃないか、と。

 

何十年もこの道で働いて来たベテラン勢の中での話だ。

制御できる眠気と、できない眠気の区別もついているだろう。

そしてそのときの眠気はきっと、制御できると判断したんだろう

 

そこで起こってしまった。

車の左側がガードレールに衝突、

運転手は無傷、その後ろの人はケガ。

助手席にいたもう1人と、その後ろにいた夫が命を落とすことになった。

 

夫はたくましい人だった。

風邪なんかほとんどひかない。体調不良で仕事を休むことはまずない。

重いものを運ぶ、長距離を移動するのに躊躇がない。

昔カタギの社長から理不尽な要求をされるても、

「まったく社長はぁー」の一言で水に流れた

 

そんな夫が、この事故で体験した恐怖は計り知れない。

救急車に乗せられた時は意識があったということだった。

その後病院で蘇生措置を受けるも、助からなかった。

意識があったその瞬間まで、痛みや恐怖を感じていたのかな。

それを思うと自分の胸が押しつぶされそうになる。

 

けど立ち読みした本で読んだ。

現世で負った苦痛はあの世に引き継がれない」と。

いま夫はあの世で、痛みや恐怖に苦しんではいない。

もうちょっと生きて、酒飲みたかった、トコ(私)と星野リゾート行きたかったなぁ」と思ってることだろう。

 

「交通事故の被害者として亡くなる」ことが、

そうでない場合とでは、遺族の人生が180度変わるということを知った。

 

例えば、

重度の障害を残して生き残っていたら

夫が運転して、加害者として生き残っていたら

 

私の世話をやくのを楽しんでいた夫が

廃人になってしまったとしたら

 

私は人生に絶望したかもしれない

生き残った夫に一生連れ添うことは出来なかったかもしれない

そんな自分を薄情に思って

その後も罪悪感に打ちひしがれたかもしれない

 

こんなことを考えはじめたのは、

親しくしていた社員が言ったセリフがきっかけだった

「運転手のKと、社長がトコちゃんのとこに謝りに行くから。ぜったい行かせるから」と

 

運転していたKさんは、ときどき会話にも登場する同僚だった。

おそらくプライベートでも親交があった。夫の職場はみんな仲が良かった。

Kさんは、自分の不注意で仲間2人を死なせてしまった、加害者となったのだ。

彼と、彼の家族が抱えた絶望はどんなものだろう。

想像しただけで、呼吸が浅くなった。

 

もし夫が運転していたら、

亡くなった人の家族から恨まれて暮らすことになったのか

それとも、後悔と自責は消えることはないけど、

あなたはあなたの人生を送って下さい」と言ってもらって、

わずかな光を得られたのか。

そんなことを考える。

 

人を恨んで生きる道を選ぶ人もいるだろう。

それだけが生き甲斐になってしまう人もいるだろう。

私は、それを選ばない。

彼とその家族が、一生わたしに気を遣って生きていかないといけない」

その事実が、私を生きづらくする。

私が死ぬとき、誰かを恨んだまま死ぬなんてことはしない。

夫と同じように、元気で幸福に満ち溢れたまま最後を迎える。

どんな死に方でも、幸福だと思えていたかどうか。

それがわかれば残された家族には大きな救いになる。

 

断言できる。

夫は幸福だった。

それを支えに、わたしは自分人生を幸福にしていく。